校章の由来
波に旭日(あさひ)をあしらったもので、波は九十九里の波、旭日は若人の意気と敬愛の校訓「敬と無限の愛」を表現している。旭日昇天の敬愛の姿である。
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大正10年4月5日(1921年) |
八日市場女学校設立認可 |
大正10年4月8日 |
八日市場町ロ233番地庚戌裁縫女学校楼上を仮校舎として開校 |
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初代校長 長戸路政司 |
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大正11年1月24日(1922年) |
東敬愛実科女学校認可 |
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大正11年4月16日 |
八日市場女学校廃止 |
大正12年3月(1923年) |
第一回卒業式挙行 (14名) |
大正12年4月 |
体育館, 家事室建築 |
大正14年4月(1925年) |
八日市場敬愛高等女学校と改称 |
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昭和3年1月30日(1928年) |
生徒定員400名に変更 |
昭和3年4月 |
敬愛家政女学校附設認可 |
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昭和7年10月(1932年) |
創立10周年記念式挙行 |
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昭和15年(1940年) |
生徒定員600名に変更 |
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昭和21年1月21日(1946年) |
敬愛女子専門学校設置認可 |
昭和21年11月3日 |
創立25周年記念式挙行 |
昭和22年5月22日(1947年) |
敬愛中学校設立認可 |
昭和23年3月5日(1948年) |
千葉県敬愛髙等学校と改称 |
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普通科・家庭科・別科設置 |
昭和25年10月1日(1950年) |
創立30周年記念式挙行 |
昭和26年3月14日(1951年) |
学校法人長戸路学園設置認可 |
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長戸路政司 理事長就任 |
昭和35年11月4日(1960年) |
創立40周年記念式挙行 |
昭和37年4月5日(1962年) |
機械科新設 |
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昭和38年4月(1963年) |
商業科新設 |
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昭和40年4月(1965年) |
普通科 |
昭和40年4月 |
普通科(男子) |
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昭和40年8月 |
体育館落成 |
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昭和40年10月 |
創立45周年式典挙行 |
昭和44年9月(1969年) |
横芝校舎第1期工事着工 |
昭和45年5月(1970年) |
横芝校舎落成 |
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昭和45年11月 |
創立50周年式典挙行 |
昭和46年1月(1971年) |
敬天閣完成 |
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昭和50年4月(1975年) |
八日市場敬愛高等学校と改称 |
昭和50年12月 |
家庭科室落成 |
昭和53年5月1日(1978年) |
長戸路信行 |
昭和55年7月7日(1980年) |
長戸路信行 |
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昭和58年7月21日(1983年) |
長戸路政司先生胸像 |
平成2年3月30日(1990年) |
新館, 正門完成 |
平成3年11月9日(1991年) |
創立70周年記念式挙行 |
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平成4年4月7日(1992年) |
制服改定 |
平成6年7月30日(1994年) |
長戸路政行 |
平成6年9月1日 |
小林彬髙 |
平成7年3月31日(1995年) |
新体育館, 特別教室棟落成 |
平成9年3月31日(1997年) |
コンピュータ施設更新 |
平成10年5月1日(1998年) |
第2グラウンド完成 |
平成11年6月31日(1999年) |
全館冷暖房設備完備 |
平成12年4月11日(2000年) |
敬愛大学八日市場髙等学校と改称 |
平成13年3月31日(2001年) |
第2コンピュータ施設完成 |
平成13年6月4日 |
創立80周年記念式挙行 |
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平成14年4月1日(2002年) |
学校5日制, 2学期制導入 |
平成14年5月1日 |
校内LAN施設完成 |
平成16年3月31日(2004年) |
講義室4室増築完成 |
平成16年4月 |
制服改定 |
平成18年4月1日(2006年) |
角田叡 |
平成18年10月12日 |
本館棟耐震補強工事完成 |
平成21年4月1日(2009年) |
長戸路政行 |
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長戸路雄厚 |
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加藤俊次 |
平成22年4月1日(2010年) |
太和田安彦 |
平成22年11月1日 |
小林彬髙 第7代校長就任 |
平成23年4月1日(2011年) |
内藤光雄 第8代校長就任 |
平成24年4月1日(2012年) |
3学期制導入 |
平成24年9月1日 |
小林彬髙 |
平成26年4月1日(2014年) |
通信制新設 |
平成27年4月1日(2015年) |
髙野伸良 |
平成29年4月1日(2017年) |
見田豊茂 |
平成30年4月1日(2018年) |
2学期制導入 |
平成30年8月1日 |
黒須健治 |
本学園の創立者「長戸路政司(ながとろまさし)」は、明治17年、匝瑳郡野栄町に生まれ、長じては旧制第二高等学校を経て、明治43年に東京帝国大学法科大学を卒業した。二高在学中は、弁論に熱中し「全国高等学校雄弁大会」で優勝している。
大学卒業後、和歌山地方裁判所検事局検事に任官したが、大正2年「思うところあって」検事の職を辞し、大正2年に東京で弁護士を開業した。
開業後、次第に弁護士としての名声を博しつつあったにもかかわらず、その業務にあきたらず「教育こそ人生の崇高な事業であり、生涯を捧げることが使命。」と痛感し、大正10年、郷里に帰って八日市場女学校を開校。西郷南洲の遺訓である座右銘「敬天愛人」を建学の精神として教育に情熱を注いだ。
長戸路政司は、大学在学当時から、『天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛するなり』という南洲の訓えに深い啓示をうけ、南洲の聖なる人格と高邁な識見に傾倒していた。八日市場女学校が敬天愛人を建学精神として掲げたのも『講学の道は敬天愛人を目的として云々』という南洲の遺訓にならったのである。
大正15年には千葉市に「関東中学」を開校。今日の「長戸路学園」「千葉敬愛学園」の基礎を築いた。
以来、大正末期から昭和初期にかけての厳しい世相の中で、さらには戦前・戦中の苛烈な時代を通して、教育本来の目的を失うことなく、ただひたすら子弟の教育と学校経営に渾身の力をふりしぼり、本県私学の「父」とまで呼ばれるようになった。
戦後は、人材難、財政難、生徒数の減少にもめげず寝食を忘れてひたすら学園の立て直しに努めるとともに、学制改革の施行にともない、学校法人の設立、八日市場高等女学校及び関東中学の新制高校への編成替えなどを行って、新時代に対応した教育を展開するための基礎を固めた。
昭和25年には、全国にさきがけて千葉敬愛短期大学・初等教育科を開学した。これは時代の要請に合致し、以後40余年にわたって、本県はじめ近傍都県の教員需要に大きな貢献を果たした。
昭和33年、科学技術時代の到来を予想して工業商業4科を併設する千葉工商高等学校を開校。昭和41年には、かねての宿願であった千葉敬愛経済大学を開学した。
昭和51年には、現横芝光町に本校の姉妹校である横芝敬愛高等学校をも開校した。
このように、長戸路政司は、教育をおのれの天命と信じ、終始一貫至誠をささげて教育に尽瘁した。
明敏な先見性と果敢なたゆむことなき前進は、創立者のきわだった特質であった。一方、温愛にあふれた人柄は教職員・父母・子弟の敬慕を集め、その感化はひろい範囲に及び、請われて様々な公職にもたずさわった。(※1)
また、教育をはじめとする偉大な社会的貢献に対して数々の栄誉が授与され(※2)、昭和55年享年95才をもって天寿を全うした。
※ 在りし日の長戸路政司先生の肉声
→クリックすると端末にダウンロードされるMP3形式のファイルを開いてお聞きください。
※1 県私学協会長(23年)、県教育委員(23年)、県私立学校審議会委員(25年)、日本私立中学校高等学校連合会理事(41年)などを歴任
※2 藍綬褒章、県知事表彰、千葉市長表彰を受けたほか、昭和48年6月には千葉市で二人目の名誉市民に選ばれた。
藍綬褒章受章の様子。代表して天皇皇后両陛下に御礼を言上している。(1959年(昭和34年)5月)
千葉市の名誉市民に選ばれた際の写真。(1973年(昭和48年)6月)